お付き合いって、なんだ?
好きな人がいます。
最近はよく、2人でご飯を食べたり、遊びに行ったりする。
そして思う。
これって付き合ってるのと何が違うんだ??
手を繋ぐとか、キスをするとか、例えばそれ以上の関係を持つとか、そういうこと?
確かにわたしとあの人はそういうことはしない。
でも、2人で出かけるのは恋人同士のデートと何か違うところがあるのでしょうか。
なんて考えるのは押し付けがましいかな。
お互いに好きという気持ちがあるかどうかでしょ、と言われてしまったらそれまでだ。
私にはもちろんある、なんなら溢れちゃいそうなくらい。
でも相手はきっとそうじゃない。
昔どこかで言ったことがある気がするけど、付き合うというのはある種お互いの相手への気持ちの保証書のようなものだと思う。
2人で会えるのは本当に本当に楽しい。
それは揺るがぬ事実ではあるけど、それでも私の不安が消えないのは相手の気持ちがわからないから。
“付き合っている”という保証書がないから。
お互いの気持ちを確認して、付き合って初めて、あぁこの人は私のことを好きでいてくれてるって感じられるのだろうと思う。
形だけのように見えて、実はとても大切なことなのでは。
ゆり
コンクールの時期、私は相変わらず
高校時代の顧問の先生を尊敬している。
崇拝、と言った方が正しいのかもしれない。
嘘偽りなく、心から。
私は本当に、高校時代にとてもいい経験をしたと今になって思う。
毎日のように怒られ、挨拶ができないとか返事ができないとか感謝が足りないとか謙虚じゃないとか、演奏以外のところでたくさんつまづいた。
その度に先生が部室を出て行ってしまって、みんなで謝りに行ったり三役が代表してずっと先生につきっきりで怒られたり。
あの時間を練習に当てられていたら、コンクールの結果は変わっていたんじゃないか、と言われたら、たしかにそうかもしれないと言わざるを得ない。
だけど人として当たり前の、基本的なことができなかったのは私たちの方で、先生のやり方の問題ではない。
理不尽なことも多々あったけど。
私は役員ではなかったし、先生と直接関わる機会はあまりなかったからこう思えるのかもしれないけど、先生の方がよっぽど私たちのために時間を割いて、たくさん考えて、多方面に頭を下げてくださっていたことを知っているから、先生のことを嫌いになることはできない。
7時半開始、という名目だった朝練習、先生は7時前に学校に来てエアコンをつけ、私たちが練習をするための環境を整えてくださっていた。
途中から先生より早く行くべく毎朝私も7時前に学校着いてたけど。
それに、先生はあの生活をもう何年も続けている。
私たちはたった2年半、終わりが見えているから頑張れるけど、何年続くかわからなかったらあんな生活続けられる自信がない。
そして、確かに先生の指導はすごい。
先生が作り上げる音楽が好き。
先生の指揮が好き。
できることならもう一度、先生の指揮で演奏したいと思うくらいには好き。
誰よりもかっこいいな、と演奏会の度に思っていたし今でも思ってる。
指導者ありきの高校の部活動だからこそ、先生の存在というのは大きくて。私たちにとっての全てで。
どんなに理解できない理由で怒られても、根本には揺るがない尊敬があるから、嫌うことはできない。
今の団体もそうだよな〜と思うけど、理解し合える部分を少しずつでも増やしていけたらいいなぁと。
みんなvs代表理事ではなくて、代表理事も含めたみんなが尊重し合えるような団体になればいいな!
最後に、顧問の先生は今年の夏のコンクールがうちの高校での最後になるらしい。
状況は厳しそうだけど、上まで行ってくれますように。
心の底から応援してる。
ゆり
記憶
実は僕も君を好きになるまでは
忘れられない人がいたのさ
だけど今はもういいんだ
手の鳴る方へ / back number
忘れなくてもいいけど私の方見てほしいなぁとか思ったりしちゃったり。
お願いだから雨は降らないでね。
一緒に花火を見たい。
純粋な疑問なんだけど
男の人ってどこを見てその人に惚れるの??
どうしたら好きと言ってもらえるんでしょうか!
教えてくれたらチョコレートでお礼します。
ゆり
ほ る ん
ホルン大好きなんだよなぁ!
明日で集中練習が終わって約1ヶ月のオケ休みになるわけだけど、心の底から終わってほしくない。
毎日吹いていた分自分のコンディションがいいのもあって、ここ最近ホルンを吹くのが本当に本当に楽しい。
好きが溢れる。
こんな風に思うのはきっと終わりが見えているからなんだろうな、という気はするけど。
今のところ、ホルンなしの生活は想像できない。
ちゃんと受験生だった引退後の半年間は、半年後には再開できる、とわかっていたから耐えられた。
だけど今回ばかりは、吹奏楽にしろオケにしろ、次いつこうやって合奏に参加できる機会に出会えるのか、そういう環境に身を置けるのか、全く見込みがない。
うーーーーーーん、大丈夫かなぁ。
ホルンは私にとって何より感情が動く原因。
調子が良ければうきうきしちゃうし、逆に調子が悪いとものすごくイライラする。
普段あんまり顔には出てないのかもしれないけど、思い通りに吹けない時の私の心の中はまさに大嵐。強風吹き荒れ、横殴りの雨が降り、木々は根こそぎ折られる。そんな感じ。
その分うきうきも大きいんだよ。
それに、多少の気分の落ち込みや若干の体調の悪さは、ホルンを吹けば回復する(ような気がする)。
とにかくとにかく大好き!
楽器は手元にあるから吹ける、吹けるけど、どう考えても機会は減るし、場所を選ばなきゃいけない。
少しのブランクだって、思い通りに吹けない未来が目に見えてそれをきっかけに楽器を吹くのが怖くなる気がする。
あ〜私のホルンとの縁が切れませんように。
これまで積み重ねてきたものを無駄にはしたくないし、依存するほど好きだから。
とりあえず、あとちょっとよろしくね。
ゆり
才色兼備
女性がすぐれた才知と美しい顔かたちをもっていること。
才色兼備。
人は外見だけじゃない、とよく言われるけど、私は中身にも同じ事が言えると思う。
人は中身だけではない。
初めて会った人同士が相手の情報として受け取るのはまず外見だ。
距離が近くなって中身をよく知ったところで、外見という要素は消えることはない。
それに外見も中身と同じで、理想に近づくための手段はごまんとある。
だから私は美しい人になりたい。
才色兼備、というのは、私が高校生の頃、同じクラスの心から尊敬していた男子に言われた言葉だ。
今までたくさんの人からもらったいろんな褒め言葉の中で一番嬉しかったもの。
才色兼備。
中身だけじゃない。外見だけでもない。
その両者をたった4つの漢字の連なりが賞賛している。
最高だと思いませんか。
そんな素敵な言葉を贈られた高校時代の私に、今の私はどう映るかな。ぶち殺されそうだな。
なんて考えた、久しぶりの実家の夜でした。
才色兼備でありたいです。
ゆり
ほっぺ
今日、おばあちゃんの家で昔の写真をたくさん発掘して、おばあちゃんと2人で見てた。
幼少期の自分を見ながら思った。
私のほっぺ、すごい。
私は現在進行形で丸顔で、自分の輪郭がとってもとっても好きじゃないんですが、幼少期の私はこんなもんじゃない。
もう、丸顔通り越して四角。
顎のラインという概念が存在しない。
種を目一杯詰め込んだハムスターのほっぺみたいに、見事にぷっくり。
今にも重力に負けて落っこちそう。
昔に比べたらだいぶ一般的なほっぺになったな、と思う。
でも幼少期があれなんだから、この先どんなに頑張って痩せたところで私の顔はきっと永遠に丸顔なんだろう。
たまに、ほっぺぷにぷに〜って褒めてくれる人がいるけど、正直私からしたらしゅっとした顔が理想なんだ。ほっぺなんていらん。
でもまあこれはこれで、もうどうにもならなそうだし、ほっぺ可愛がるのもありかな、と写真を見て思いました。
私のほっぺには幸せがいっぱい詰まってると思うことにした。
いつか、自分の好きじゃないところも全部好きになれたらいいなぁ!
ゆり
憧れ、理想
私はミステリアスな雰囲気の女の人が好き。
ふとした瞬間のオーラが暗色の人。
どこか感情が見えない人。
そういう人を見るとなぜか惹かれるんだよなぁ。
好きなんだから、私もそういう人になりたいとずーっと思ってる。
だけど、私のことを知ってる人はわかると思う、私は全く逆を行くタイプだ。
今更ミステリアスになりたいと思ったところで、基本的ににやにやしながら生きてる私がそうなれるわけもなく。
今日もあ〜ミステリアスな人素敵だな、と思いながら、私はそういう人とは正反対の雰囲気で生きています、たぶん。
マイナスの感情を隠すのは我ながらめちゃめちゃ得意だと思う。
というか、隠そうと思わなくても隠れちゃう。
内心すごい落ち込んでたり、深刻に悩んでたりしたところで、それは別に相手には関係ないしな。
私の方もそれを見せようとも思わないし、他人に見せたところで解決しないし、って思っちゃうから。
そのかわり、プラスは全部顔に出ちゃう。
好きな音楽を聴いてる時、好きな人たちと一緒にいる時、何か楽しいことを考えてる時、私はたぶんずっとにやにやしてる。
楽しいからしょうがないか。
楽しさは人と共有できた方が幸せだと思うから。
あーーーそんなこといってまたミステリアスとはかけ離れたにやにやマンになっちゃうんですけどね。
来世はミステリアスになっている予定です。
ゆり