私的ボランティア論
ボランティアとは何か、って議題はALPHAのミーティングで何度か話し合ってるし、実際ボランティアと呼ばれる活動をやってる中で考えることもある。
ボランティア、と聞いて思いつくのはどんなイメージですかね。
よくツイッターとかで、大学生はとりあえずカンボジアに学校建てておけばいいと思ってる、とか見るけど、就活に有利だからとかそんな適当な理由で始める人、いると思います?笑
まあいるのかもしれないけどさ。
少なくとも私の周りにそんな人はいないぞ。
そういうこと言う人は、本当に現地にその活動を必要としている人がいるということをきっと知らない。全然わかってないくせに、自分はやろうともしないくせにバカにするのはやめてほしい。
後にも書いてるけど、ボランティアをやる人が偉いとかそんなのは全くない。でもバカにするのは一回やってみてからにしてくれよ。
一人ひとりの想いやきっかけはきっと違うだろうけど、みんな少なからず誰かの役に立ちたいと思って始めるんじゃないのかなぁ。
私はALPHAの活動を説明する時、ボランティアをやってますと言っているけど、正直言って世に言うボランティアが何なのかよく分かっていない。
無償で、なおかつ自主的にやるものがボランティアなら、たしかに私たちの活動はボランティアだと思う。
ただ、見返りを求めないかと言われたら、実はそんなことはない。それは別にALPHAの活動に限ったことではなくて、世に言うボランティアをやってる人みんなそうなんじゃないかなぁ。
私の偏見かもしれないけど。
ボランティアって、一般的なイメージで言えばとても一方的なものに聞こえるんじゃないかと思う。
与える側と与えられる側があって、与える側は誰かを助けたいという気持ちで動いている。
どんなに大変でも、自分には何の利益もなくても、必要としている人がいるからやる。
でもそれだけで成立すると思いますか?
少なくとも私は、見返りが何もなかったら続けられないと思う。
もちろん前述した通り、入り口は大抵誰かの役に立ちたいという気持ちだと思う。
私もそうだし。
だけど、その活動を続けたいとか、何度でも現地に行きたいと思えるのは、行った先で歓迎してくれる人たちがいて、私たちの支援をちゃんと生かしてくれる人たちがいて、たくさんの感謝と愛を貰えるから。むしろ自分が与えられるものより相手から得るものの方が大きいんじゃないかってくらい。
実は支援する側が偉いとかそんなのはなくて、現地の人たちと協力して、本当に必要とされてることは何なのか見極める。そしてその代わりに、たっくさんの思い出を貰う。
Give and takeですよ。
絶対に、断じてGiveだけがボランティアじゃない。
だから、毎度毎度早くフィリピンに行きたいと言っているわけで。
もちろん、現地の人たちの役に立ちたい、という気持ちは忘れちゃいけない。
ボランティアの出発点はそこだから。
でも楽しんじゃいけないなんてことはないわけですよ。
ボランティアをやってるって言うと大抵偉いねぇとか言われるけど、別に何も偉くはないんだよ。やりたくてやってることだから。楽しいから、やる。そこには多少の頑張りが必要かもしれないけど、それ以上のものを得られるから。
バカにされるのは絶対に嫌だけど、そんなにべた褒めされるようなことをしてるわけじゃない(難しいよな)。
ボランティアって、そんな大それたものじゃないよ。
もっと身近に感じていいものだと思うんだよ。
大自然の中で子供達と触れ合って、第2の家族と呼べる存在が出来て、満点の星空を見て。
私たちが建てた教室を実際に子供達が使ってくれてる。
最高じゃないですか。
だから私は何度でもフィリピンに行きたい。
大学生のうちにしかできないことではあるから、時間は限られてるけど。
自分たちの支援を必要としている人がいるということ、少しでも子供達や村の人の役に立ちたいという気持ち、それは絶対に忘れないしいつまでも大切にしなきゃいけないけど、それと同時に全力で楽しむ。たっくさん素敵な思い出を作る。
そうやって意味のある活動をしていきたいよ。
なんかちょっと、いやかなり?カッコつけてんなぁ、笑
まあブログだし。そんなの自由だ!笑
もしボランティアをやることを躊躇している人がいたら、少しでも背中を押せていたら嬉しい。
そうじゃなくても、ボランティアに対するイメージが、ちょっとでも変わったらいいな。
最後に大好きなフィリピンの写真でも載っけておこう。
ゆり